圓乘 健介

Enjou Kensuke(32)

NK Koprivinica(クロアチア)
Tomislav Drnje(クロアチア)
FK AUDA(ラトビア)
Stmil Olsztyn(ポーランド)
FK AUDA(ラトビア))
Slovenska bistrica(スロベニア)
Singbri FC(タイ)
野洲高校→大阪経済大学→奈良クラブ
ひじりSC→ガンバJr→ガンバ大阪Jy

  • ずっと上手くいかないようなサッカー人生

    ー圓乘さん、改めて経歴を教えていただいてもいいでしょうか?

    ガンバ大阪Jrユースぐらいからの話をすると、当時僕はチームで一番背低くて、中学の3年間は本当に苦労しました。
    ドリブルが得意だったので、セレクションではまったくパスを出さずw ドリブル突破で受かることが出来たのですが、いざチームメイトと並ぶと体格差はもちろん、能力差もあるし、周りはめちゃくちゃ上手かった。
    公式戦に途中出場はできてもスタメンでというのはないような状況でした。

    結局ガンバ大阪ユースには上がれず、普通に高校のチームに行くことにしました。
    ありがたいことにいくつか推薦もいただいてたんですが、いろいろあって野洲高校に入学しました。

    野洲高校では、トップチームとBチームを行ったり来たりだったのですが、2年生の選手権出場時は1回戦でスタメンで出られたんですよ。
    でもその試合で自分の出来が悪く、勝ったものの2回戦からはベンチ外という...あんまりないんですよスタメンからベンチ外...

    その後もトップチームとBチームを行ったり来たりという生活を繰り返して、あっという間に3年間が過ぎたという感じですね。

    大学でもサッカーは続けていたのですが、パッとした成績は残せないでいました。
    そんな時、練習参加させてもらった奈良クラブから声を掛けてもらって、奈良クラブで1シーズン、プレーしました。

  • 海外挑戦

    奈良クラブでプレーしていた時ぐらいから、海外でプレーしたいと思うようになり、ちょうど奈良クラブの監督がタイに行くというので、声をかけていただいて、タイでプレーすることになりました。
    初めてサッカーでお金をいただけることなったんですけど、2ヶ月目から給料未払いになってw

    結局、半年間しかプレーできず、そこからそのまま思い切ってヨーロッパにチャレンジしました。
    最初はスロベニア。3部だったので、日本でいうと多分JFLみたいな立ち位置だったと思います。
    そこで1年プレーして、次にラトビアに移籍しました。
    ヨーロッパ2シーズン目ということもあり、順応出来てきたのか12試合に出て、10点ぐらい得点できたと思います。

    そこからポーランド2部にステップアップできて、ここが初めてプロとしてプレーできたリーグでした。
    順調かと思っていたのですが、そこでなかなか結果が出せず、シーズンの半分で契約満了になってしまったので、元居たラトビアのクラブに戻りました。
    しばらくプレーした後、契約がなくなってしまったので「サッカー辞めようかな」と思っていたのですが、クロアチア4部のチームが以前から声を掛けてくれていたので、最後にクロアチアに挑戦しようと決めて、移籍しました。

    そのチームでのプレーは順調で、20数試合出場して、試合数と同じくらいゴールとアシストを記録することが出来ました。
    シーズンが終わって、2部のプロリーグのチームからお話をいただいて、行きたいなと思っていたのですが、そのタイミングで大きな怪我をしてしまい、半年間プレーが出来なかったんですよね。

  • 新たな挑戦

    何とか怪我も治して、クロアチア2部のチームに移籍しました。
    『FOOTBOOTS』の仕事と並行して半年プレーしたのですが、なかなか上手くいかず、身体の限界がくるより先に気持ちの方が切れてしまいました。
    『FOOTBOOTS』の仕事をメインにやっていくことを決めて帰国、現在に至るという感じです。

    ーそれで『FOOTBOOTS』の仕事とYouTubeを開始されたんですね。現在は順調にお仕事を拡大されているように見えますが、今後の展望などありますでしょうか?

    ヨーロッパでプレーしているときにFGソールが必要になったという話をしましたが、当時日本ではFGソールのスパイクが手に入りにくく、そういった商品を届けられるようにと『FOOTBOOTS』を始めました。
    スパイクを紹介するのに相性がいいなと思いYouTubeも始め、それもだいぶ軌道に乗ってきたと思っています。

    ヨーロッパでプレーしていた時に、この情報が先にあればもっと上手くいっていたかも。
    と思うことも少なくないですし、スパイク選び一つでプレーの質が大きく変わることも分かっているので、そういったことを、今プロを目指している子供たちに向けて引き続き発信していきたいです。

    そういった活動で『FOOTBOOTS』が大きくなれば、もっと違う形で日本のサッカーのために貢献できるかなと思っています。

個別インタビュー